君の夢の中で

 

どうも皆様はじめまして。

ミュージカル「フランケンシュタイン」とアンリ・デュプレに魅了され狂ってしまったオタクAと申します。(違う)

 

こちらはミュージカル「フランケンシュタイン」で歌われるアンリ・デュプレのナンバー「君の夢の中で」を軸にしてアンリ・デュプレについての解釈をまとめるブログです。(というかアンリ・デュプレに魅了されたフランケン狂いのしがないオタクの気持ち整理ブログです)

 

ちなみに日本版(待望の再演真っ只中です!)の話です。

 

読んでくださってる方はおそらくミュージカル「フランケンシュタイン」をご覧になった方、ご存知の方が多いかと思いますが、この曲について簡単に説明を。

 

「♪君の夢の中で」は生命を創造するという夢を持つ科学者ビクター・フランケンシュタインが犯した罪をかぶり死刑を宣告される彼の親友で共に研究を行う同志であるアンリ・デュプレが、死刑執行前にビクターに自分の夢を託すことで彼を励まし、彼の夢を応援する。そして親友(ビクター)と別れ独りで断頭台へと向かう、まさに死にゆくアンリの全てを表すナンバーです。涙なしには観られない。すでに2桁観劇している私は99%の確率で泣いている。そろそろ双眼鏡水没しそう。

(東京公演中に下書きしていた時には百発百中だったけど一度だけクソサイコパス死にたがりエゴアンリ(言い方)のおかげで泣かなかった日が1日だけあったから99%です、笑)

誰か涙なしでこの曲聞ける人いたら秘訣を教えて欲しい。切実に。

 

 

ということで、地方公演が始まる前にこの曲について、そしてアンリ・デュプレという人物について自分自身の解釈をまとめておきたいと思います。

この作品は人物についても、脚本についても、すごく観客側に解釈の幅を与えるものであるので、共感していただける部分もあればこうして私の考えを読んでこれはそうじゃない!と思うこともあるかと思います。が、それもまた一興。だと思います。私もそういう議論がしたくて書いている面もあるし。

というかそもそもキャストの組み合わせによっても違うし、同じキャストでも日によって違う。こんなに毎日受け取る感覚が違う舞台って見たことないかも?レベルです。

あくまでも私自身の考え方であることを念頭に置いていただけると幸いです。

そしてぜひ熊カレーかかみなりおこしを肴に語り合いましょう!!!!(大真面目)

 

 

ちなみにこのブログでの「アンリ」は加藤和樹さんのアンリを主に指します。(初演の加藤和樹さんアンリで沼落ちしたオタクなので…)小西遼生さんのアンリの話をするときは呼び分けとして「小西アンリ」なり、わかる形で書き記したいと思いますが、小西アンリはあまり回数観れておらず直感的なものが大きいので曖昧です。

「ビクター」は大きくビクター・フランケンシュタインという人物を捉える言葉として使っているので、キャスト特定の際は「中川ビクター」「柿澤ビクター」と呼ぶことにします。

 

 

さて、まずアンリ・デュプレという人物についてとりあえずわかっている情報を書き出します。

①名前はフランス系の人だけど、フランスと敵対している軍隊に所属。

→アンリ自身もドイツの大学出身であるからプロイセン軍??

②階級は少尉、軍医。

③アンリには「親がいない」(「♪一杯の酒に人生を込めて」より)

④ビクターと出会う2年前に死体の再利用についての論文を発表。「あそこまで生命の秘密に迫りながら…」とビクターに言わせるほどの出来。

インゴルシュタット大学(インゴルシュタットは原作「フランケンシュタイン」の舞台)を首席で卒業。人体接合手術の新たな方法を草案し、生命科学界に波紋を起こした”問題児”(byビクター)

 

私は軍隊とか医学とか階級との兼ね合いとか諸々全く詳しくなくて現時点では文献もほぼ読めていないウィ○ペディア頼みの知識なので、その辺り詳しい人いたら教えてください。

 

ということで私の中でのアンリ像の中で特に考えていきたいことは2つ。

「人の命を助けようとするのに自分の命には無関心なのはなぜか」

「アンリが死体の再利用=生命創造に関心をもったきっかけは何か」

 

まず前者から。

アンリは登場シーンから敵兵を助けようとしていますし、「♪ワーテルロー」でも「(戦争は)殺し合うことが目的じゃない 制圧するのが戦争だろう」「命は大事だ 敵であっても」と言ってるあたり「他人の命」を助けることにおいてはすごく熱心というか、気持ちがあるのに対して、スパイの罪を着せられて自分が殺されそうになっていることに対しては無関心というか、「殺せばいい」の諦めた感じというのが引っかかっていて。

アンリは「生きる意味を見つけられていない」くて、「(人は)いずれは死んで離れ離れ」「”孤独”こそが我々の運命だとしたら私はそれを受け入れようと思っていた」というところから、「人間」というものに絶望していそうだなと思います。

その絶望を味わうきっかけになったのが、死体の再利用の研究をしていた時に起きたのだろうと推測しています。

ではなぜ、絶望を感じている「人間(他者)」の命に対してあんなにも熱心なのか。

私の中ではおそらくアンリが生命創造に興味を持ったきっかけが「人の死」であったからだと思うんです。

ビクターも母の死がきっかけであったように、アンリ自身も「人の死」というものに触れて、それで「人の弱さを直したい(♪ただ一つの未来 より)」と考えた。だから他人の命を救う軍医になったんだろうと思うし、あんなにも「他人の命に執着している」んだと思います。

 

その研究を行ったことで「神への恐れ」と「人間への絶望」を抱いたと語るアンリは、おそらく全世界から否定された気持ちになるような、そんな出来事が彼の身に降り注いだのではないかと感じます。

ビクターも故郷のジュネーヴでは「恐怖」の対象だし、ビクターと同じようにアンリも「忌み嫌う対象」であり、「まともな人間じゃない」という烙印は押されていると思う。

このあたりのアンリの過去については後の話でもう少し考えていきたいと思います。

 

そんな感じで、他人の「死」には否定的なのに、自分自身の「死」に対しては肯定的というか、一定のラインまで到達してしまった感のあるアンリ・デュプレは、ビクターと出会うことでこの思いをより強くしてしまったというか、他人の死がイコールビクターの死に直結してしまうし、その他人の中でもビクターは自分に生きる意味を与えてれた唯一無二の存在なのだから、アンリ的には最優先事項が「ビクターを死なせないこと」になってしまうんだろうな。

特に加藤アンリの時にはその雰囲気が強くて。

「ビクターのために死ねるなら後悔しない、ビクターがそれで生き残るなら自分の夢は彼に託して、彼のために死ぬし、それが自分の幸せ」という感じ。まあ観る回によってもめちゃくちゃ違うからなんとも言えないけど、行くとこまで行ってしまった時のアンリ(東京公演序盤の対中川ビクターに対する加藤アンリとか)はそういう感じ。

 

結局考えたい点については全く結論が出ていないけど、アンリが

人の命>>>>>自分の命

な理由はそんなところだと思う。今の時点ではね。

 

さて続いて、

「アンリが死体の再利用=生命創造に関心を持ったきっかけは何か」

という話ですが、先ほども触れたように、アンリが生命創造に関心を持ったきっかけって「人の死」だと思うんです。

人は生まれたら必ず死ぬ。死んだらそこで終わり。(まあ宗教によって色々考えはあると思いますが)

生まれた瞬間から私たち人間含む「生命」に定められた運命。

かつてのアンリ・デュプレは何らかのきっかけでその運命を目の当たりにして、絶望ないしは野望に燃え、「この世界を変えたい」と願った。私ここのきっかけって加藤アンリと小西アンリとで違うと思うし、対ビクターによっても違う、何なら日によって違うと思っているので、大枠だけとりあえず。

 

まず加藤アンリと小西アンリの違いですが、加藤アンリは「人の死」から「生命」に興味を持って、好奇心から研究を初めて絶望していそうなのに対して、小西アンリは「人の死」からまず一度絶望して、ある種ビクターと同じように「世界を変えたい」と思って研究を始めていそう。

小西アンリの方が闇深そうって思ったの、多分このあたりも影響してる。笑

そんなあたりから、加藤アンリは「人の死」と行っても遠い人(例えば近所の人、とか、たまにしか会わない親戚)の「死」に触れて、「どうして?」という興味から研究を始めてそう。研究を始めた後に経験した絶望というのが多分近しい人の「死」なのか、同等くらい辛い「別れ」だと思う。それに加えて人間の汚い部分(それこそ嫉妬とか、憎しみとか、媚びとかそういうもん)でボコボコにされていそう。そこで初めて人間が弱くて愚かで自分のことしか考えていないかを知り、絶望して、研究をやめてしまった感じなのかな。と。

 

対して小西アンリは近親者の死を経験して、その絶望を動力にして「人の弱さを直して誰も失わない世界」というのも理想に掲げて研究していそう。「僕には親がいない」と語るアンリだけど、小西アンリは親を失ったことで、悲劇を二度と繰り返さないために研究しているのでは?とも思える。(ちなみに、加藤アンリは親の愛情の記憶がなさそうだなって思っている。孤児で養子説を推しています)だからこそ研究を否定された挙句、また大事な人を奪われて絶望に苛まれ、「神よまたも呪うか」状態になっていそうだなと思った。2回しか見てないけど。闇属性小西アンリおそるべし。

 

自分の弱さも人間の弱さも知ったアンリがビクターに出会って、彼の信念や理想、”神をも恐れぬ勇気”に触れ、魅了された。自分にはない部分をビクターで埋めて、2人で夢に向かって歩く。そんな2人にかけられた「運命」という呪いが辛すぎる。

そんな「運命」を(人とその日のコンディションによるけど)辛いながらも受け入れ(!?)、ビクターの胸に自分の夢を託し、そこで次の人生を彼と共に生きることを決意する場面、それが「♪君の夢の中で」だと思っています。

それと同時にビクターが「生命創造」に対する決意を固める大事なナンバーであることも触れておきます。

 

その決意というのがまた2人のビクターで違っていて、基本的には中川ビクターは言葉通り「"人間の"生命創造」を、柿澤ビクターは「"アンリの"生命創造(というか蘇生)」の決意を固めているように見えまして。もちろんここも日によって、アンリによって変わるのでなんとも…な部分なのですが大枠はこんなイメージ。

もちろん2人とも「親友アンリを失いたくない」というのは大前提で、というのもおそらくビクターにとって唯一「友」と呼べる存在であったアンリを失うことということは、母を亡くした時と同じくらいの悲しみ、心の痛みだと思っていて。

というか、ビクターにとってアンリって友であり仲間であり同志であり兄弟であり母であったのかもしれないなって思います、もはや。加藤アンリとか母性の塊だしな…?

 

余計な話が出てきそうなのでここらで一旦置いておくとして。

とにかくビクター的にはアンリを失うことは母を失うのと同じくらい辛いわけで、生命創造の世界へ誘ったきっかけと同じレベルの絶望、痛みを味わえばまあそちら側へ強く引かれてしまうよなって納得。

私がビクターならアンリを死なせない→アンリが死んでしまった→絶対生き返らせる(血眼)みたいになると思うし。やっぱり鮮度が命だから(腐った脳みそは電流に耐えられないとビクターが嘆いていた)、悲しむ間もなく実験するしかない。それが余計ビクターを狂わせるというか、もはやハイだよね。生命創造ハイ

でもアンリを生き返らせる(血眼)感が強いのは柿澤ビクターだなと思います。

 

2人のアンリが柿澤ビクターの人生を狂わせたというか、アンリが死んだことで柿澤ビクターはイカれてしまった感が強い。しんどいねぇ〜!!!

逆に中川ビクターは内側に狂気を秘めていて、それがアンリの死によって解放された感じがまた2人のビクターの♪偉大なる生命創造の歴史が始まるで出ているのが面白いなぁと。

 

おっと話がだいぶ逸れてしまいました。そろそろ話を本題に戻そうと思います。

 

 

そんなこんなで(ざっくりまとめすぎ)闇を抱えて人生に絶望しているアンリ・デュプレが、偉大なる夢をアンリとともに見ているビクター・フランケンシュタインのために死んでいく、その心情を表したアンリの大ナンバー「♪君の夢の中で」の話に入りたいと思います。

 

どこのフレーズが好きだとか、あそこのメロがいいとか、なんとかかんとかそんなこと考えられないくらいこの曲とアンリ・デュプレが大好き(大の字)

なのですが、言ってると何も始まらないので先に進みます。笑

 

やっぱり一番印象的なフレーズと言われると

一緒に夢見れるなら死んでも僕は幸せ

なのかなと思います。私は。

ここだけ切り取って書き出すと、アンリ・デュプレヤバイやつですね???

いや極端でヤバイやつではあるんですけど。(笑)

このフレーズがアンリの想いを全て語っているというか、アンリの心の底からの気持ち、本心だと思うんですね。アンリの頭の中では決意固まっているし、本当にビクターの夢のために死ねるのならば幸せだと思っているのは間違い無いんです、2人のアンリどちらも。頭では理解しているし、自分が死んでも君(ビクター)の夢の中で生きていけると信じている。ただ、心がどうしてもついてこなかったり、逆に想いが先走ってしまったり、で日によって人によって大きくこの曲に対する感じ方が変わるのがまた魅力だなと思います。

(解釈等々は観劇感想ふせったー(またの名を感情ぶん投げ備忘録)で、気持ちのままに書き綴っている通りで、フランケン期間が終わったら少しでも綺麗にまとめようと思っています。できるかはわからないし今の所できる気がしていません!

 

あとアンリが死んでもビクターと夢を見て、その夢の中で生きていける、と絶対的な信頼を置いているのもまた面白いなと。

 

私の中でアンリってビクター以外には上っ面というか、表面上はすごく人当たりの良い好青年ですが、ビクター以外を一切信用していないような印象がありまして。後にも少し話しますが、たぶんビクターと出会う前は「人間」に対する信頼を失っていると思うんですよ、アンリ・デュプレは。酒場のシーンとかでそれがすごく顕著に出ている気がします。

表面上の付き合いと顔の良さとノリで世間を渡ってきたんだろうなって感じます。ぱっと見はわからないけどすごく寂しくて哀しい人なんだと思います、彼も。

そんなアンリがビクターの輝きに魅せられたらそりゃついていきたくなっちゃうし、初めてアンリが心から「信頼」できる存在であったのだから夢の中で生きられるというところまで信頼しきってしまうのも納得だなぁと。

それってビクターもきっと同じで、お互いがお互いを信頼しきってるからこそ生まれた悲劇だと思います。そのあたりは後日詳しく深掘りして行こうと思います。

 

 

 

そして最初に挙げたフレーズと同じくらい

夢見るその瞳に僕は”恋”をした

というフレーズが印象的です。

 

よくふせったーでも「俗物的な愛とか恋とかじゃ無い」という話をしますが、ここでアンリが「恋をした」と語っているのって、恋愛感情的な「恋」ではなくて、もっと心の奥深いところで惹かれてしまった、という意味合いの「恋」だと思っています。

 

「恋」という言葉を調べると、恋愛だとか特定の異性に強く惹かれるだとか書いてあるように、どうしても恋愛感情的な意味に捉えられがちの言葉をあえてビクターに対して使って語りかけているあたりがアンリの気持ちの本気度合いを表していると思いますし、このフレーズを歌う時のアンリの顔とか歌声ってすごく優しそうで、嬉しそうで。アンリとしても初めての経験だったと思うんです、ビクターとの出会いって。ビクターにとって人生で唯一「親友」と呼べる存在であったと同時にアンリにとっても同じように人生で唯一「親友」と呼べる存在であったんでしょう。

 

アンリ・デュプレ像の話でも少し触れましたが、アンリは生命創造の研究を通して「人間への絶望」を抱いて、生きる意味を失ってしまった(もしくはもともと持っていなかった)。それがビクターという人間に出会った瞬間、例えるならモノクロの世界だったものが一瞬にして色づいたみたいな衝撃と魅力を感じてしまったのではないかなと思っていて。人間衝撃には弱いんだよな。(ソースは私。)

 

きっとアンリってその生命創造の研究前後で人間からの「愛情」の受け方とか「信頼」の仕方とかそういった普通の人が普通に持っているものを失ってしまったのではないかと考えていて。生命創造って言い方変えれば死者を蘇らせるということで、それって今でも倫理的にアウトだし、そういう研究をして論文まで発表したアンリ・デュプレはどう考えても世間から追い出されている。なんならアンリ・デュプレはそこで一度死んだのかもしれないとすら思う、私は。

 

軍医として他人の命を救うことで自分の存在意義を見出していて、かつ神への罪滅ぼしみたいな側面もあって、それでいて未だ自分が生きる意味を見失っているアンリが、神も恐れず、人間も世間も恐れず自分の夢だけを追い続けるビクターに出会ったしまったらそりゃあ「恋」に落ちてしまう。

その「恋」っていうのが先ほども言った通り俗物的(恋愛的)な意味ではなくて、彼の信念や夢、彼の夢見る希望に満ちた世界を一緒に見てしまったから、心が衝動的に動かされてしまってビクターしか見えなくなってしまう、何よりビクターが放つ「輝き」に魅了されてしまった。そんな状態を指していると思います。

(それがAメロ頭の「烈しく魅了する 哲学 信念 情熱」の最後に「輝き」を持ってくるあたりで表現されているんじゃないかな?)

 

結局ビクター・フランケンシュタインという人間の全てに魅了され、言い方はアレですが”惚れ込んだ”アンリはビクターという存在、ビクターの夢こそが生きがいになってしまった。

エレンからビクターの亡霊の話を聞いた時に「生きる意味を未だに見つけられていない」と語っているアンリですが、(アンリ自身に自覚があるかは別として)この時点ですでに”ビクターの夢のために生きる”ことに自分の存在価値を見出し始めているし、それがアンリの中で確定した決定的な瞬間が、ビクターが葬儀屋を殺した時だった。

アンリはビクターに夢を諦めず輝いていてほしいと願った。だから自分が罪を被り、彼のために死ぬことにした。

そうすればビクターは生きて研究を続けられるし、自分の首という新鮮な実験材料を提供できる。そう思ってその選択を「運命」と語りビクターに納得させたんだとおもう。

特に再演の加藤アンリは後者の部分が強くて、どこかのふせったーで話したけれど、

「加藤アンリは自分の首で実験が成功する未来まで見えて死んでいくし、ビクターが歴史を変える瞬間は自分の首がいいと思っていそう」なんですよね。もちろん冒頭で話したように「ビクターを死なせたくない」というのも根底にありつつ、でもどちらかといえば自分自身の喜びが前面に出ているイメージ。

 

小西アンリは私が見た中でのイメージだけど、ビクターの夢の中で生きるより、ビクターを死なせたくないが強くて、でも自分自身もビクターと離れたくない気持ちも強くて、死ぬ前にビクターと会ってしまったから少し離れがたいというか、死に対する恐怖ではなく”ビクターと(物理的に)一緒に生きていけない寂しさ”が前面に出ているのもまたダブルキャストの面白いところ。

もちろんここも日によって、対ビクターによって変わるから、ざっくりしたイメージですが。

 

そんなイメージなので、加藤アンリの時は「一緒に夢見るなら死んでも後悔しない」が

”だろうな〜〜〜〜”

と感じるのに対して、小西アンリの時は

”嘘だろ!?!?怒らないから本音を言ってみろ、な????”

ってなるのが個人的には好きです。

 

何より、今までビクターのことを放っておけない感じは出ていたものの言葉には全くしてこなかったアンリのビクターに対する「信頼」そして深い「愛情」がストレートで、でも上品な言葉で表現されているこのナンバーが大好きです。

 

 

2人のアンリそして2人のビクターによって、同じ曲、同じメロディ、同じ歌詞であるのにこんなにも感じ方の違う作品には出会ったことがなくて、その面白さが一番顕著に出ているのがこの「♪君の夢の中で」という曲だなと思ったので、自分自身の気持ちの整理も兼ねて書かせていただきました。

結果としては、全く整理できていないし、何が言いたいのかもわからないし、ただただフランケンロスを拗らせているところではあるのですが、名古屋に向けてまた違った気持ち(?)で観劇できるのではないかなと思います。

 

もしここまで読んだ方で、フランケンシュタイン未見の方がいるとするのならば今すぐチケットを購入することを全力でオススメします。名古屋、大阪とまだ公演はあります!間に合います!素晴らしき友情と哀しき復讐劇が起こす奇跡の目撃者に!!共になりましょう!!!(何言ってんだ)

 

 

ご静聴ありがとうございました。